山陰海岸ジオパークガイド養成講座・豊岡コウノトリ公園・玄武洞・大石りくレポート
12月6日に山陰海岸ジオパークガイド養成講座中級編が開講し、第一回は専門講座 1 「現地研修 」 豊岡コウノトリ公園&玄武洞ミュージアム、大石内蔵助の妻・りくさんについて学びました。

ないとの事







また、この日は大石内蔵助討ち入りの前日で妻りくの遺髪が埋葬されている正福寺(〒668-0815. 豊岡市日撫17)を訪ねました。




大石りくの障害と人物像
大石内蔵助の妻・りく(理玖)は、寛文9年(1669年)、但馬国豊岡藩の家老・石束源五兵衛毎公の長女として誕生し、貞享4年(1687年)、赤穂藩筆頭家老・大石良雄(内蔵助)と結婚。長男・松之丞(のちの大石主税良金)、長女・くう、次男・吉千代、次女・るり、(内蔵助は討ち入りを決意し、妻子に罪が及ばぬようにりくと離縁)のちにりくは豊岡に帰り三男・大三郎を出産し、計5人の子供をもうけました
赤穂浪士の討ち入りで知られる大石内蔵助を支えた女性で、討ち入り後の意地の養育に尽くし、後に「香林院」と号して生涯を終えました。彼女は武士の妻としての覚悟と、母としての強さを兼ね備えた人物です。
りくの人生は、武家社会の厳しさと女性の強さを象徴し、夫の大義のために離縁されながらも、母として子を守り育て、晩年は静かに仏門に入った姿は、まさに「影の忠臣蔵」と呼ぶにふさわしいものです
※豊岡市では「大石りくまつり」が毎年開催され、良妻賢母として顕彰されています
山陰海岸ジオパークガイド養成講座中級編は令和8年1月10日開催の専門講座2「現地研修」 乾燥地の植物と生態の開催地は鳥取大乾燥地研究センターで専門家の方に解説していただく貴重な勉強会となります。
その他、1月31日は、専門講座3 「解説講座 但馬往来 山陰道の道」 、2月7日は、専門講座 4 「専門講習」 海ごみ問題~わたしたちができることを学びます。


